2014年3月4日火曜日

「岐阜から発信!講演会×対談×映画上映から「みらい」を考えよう。」

「岐阜から発信!講演会×対談×映画上映から「みらい」を考えよう。」
Mixed Roots×ユース×ネット☆こんぺいとう というNPO主催のイベントに行ってきました。たまたま多治見朝活でしりあった若尾泰之監督による自主制作映画「ブラジルノニッポン」という映画がきっかけなのですが。

映画のトレーラーはこちらで。
http://www.youtube.com/watch?v=6jdN_OErMc0

上映に先立って岐阜新聞の記者さんの講演、出演者と20代日系人との対談がありましたが気付いた事を色々メモしたので書き起こしておこうと思います。

岐阜新聞報道記者馬田泰州氏の講演。演題は「ジャポネス・ガランチード」(日本人は信頼できる)彼は半年間日系ブラジル人を追跡した記事を岐阜新聞に連載。記事は岐阜新聞ウェブサイトでも閲覧可能。http://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/2013/japones_garantido/


冒頭はFC岐阜の話から。ラモス監督就任によってチームの雰囲気だけでなく岐阜市内の雰囲気も少し変わったのではないかとのこと。ラモス監督もブラジル出身。講演当日はFC岐阜の開幕戦。日本特殊工業がFC岐阜のスポンサーについたがその理由がラモス監督。ブラジル出身のラモス監督と日特の最初の海外工場がブラジルだった事もあったため。ブラジルと岐阜の交流はじつはこれが初めてではなく近代史における日本とブラジルの交流の歴史が岐阜にかなりの影響を与えてきた。しかし、直近20年間の交流は果たしてうまくいっているのだろうか。疑問が残る。

彼の主張は「お互いもっとギブアンドテイクしよう」であった。昨年、岐阜からブラジル移住100周年(8月25日)だった。もともと日本人がブラジルに渡った理由をさかのぼると、移民史=世界の経済史と関係している。
 手短に述べてみるとリンカーン大統領が1986年奴隷解放宣言した。それが奴隷解放ブームを世界で起こし1880年ブラジルもアメリカからの奴隷を解放した。
 それがブラジル皇帝制度の廃止につながった。結果として働き手の喪失につながった。当時ブラジル経済のなかでコーヒー農園の運営が重要であったがその労働力決定的に不足したため、移民が必要だった。
 ヨーロッパ移民はその過酷な労働によってすぐに帰国するケースが絶えなかった。日本人は「口減らし」のために田畑を継承できなかった次男坊三男坊は本家から出て行くしかなく日本に残っている位なら、と移民する者も多かった。アメリカへの移住が盛んであったが「勤勉な日本人が国内の労働機会を奪う」という理由からアメリカへの移住が困難になっていった。そして世界の労働市場から閉め出された日本人労働者はブラジルへいくしかなかた。この当時のブラジル移民の様子は石川達三氏著の「蒼茫」に詳しい。第1回芥川賞受賞作品。


ここから数名のブラジル移民1世の方々の話。
ブラジル移民100周年イベント
山田彦次さん(ブラジル岐阜県人会会長)75歳前後
20代でブラジルに移住してサンパウロで土産物店を経営して20年以上県人会会長をつとめられた。
渡辺進さん 85歳
1953年ブラジルアマゾン川流域に入植。電気もガスも無いところで胡椒を育てようとしたが、動物を捕まえたりフルーツを採取して14年間過ごす。その後、ペルーへ移住して農場経営で成功された方。


 現在のブラジル岐阜県人会1000名前後。150万人の日系人に対して総人口は1億越え。少数派でかつ5~6世世代は日本にルーツがある事に関心が薄れ、県人会が機能しなくなっているところがふえていることから日本にルーツがあることじたいがブラジル文化に飲み込まれつつあるんではないか?ブラジルサッカーワールドカップ等を通して日本文化発信拠点に転換していくのも一考の余地はあるのではないか。

翻って我が国の現状
 美濃加茂市の現状 2万人以上だったブラジル人居住者の人口も1万人前後に減少。
 外国人労働者の中のブラジル人労働者の役割についての考察

 洋菓子製造工場(フレシュールかな?と推察)では半分外国人社員で、多様性(ダイバーシティ)の考え方、労働人口が低下している日本において外国人労働者の重要性は高まっている。そしてこれからもし「外国人労働者が増えるとしたら」彼ら初期移民世代(リーマンショック以前から日本に居る移民世代)の経験やノウハウが新たな移民世代(ニューカマー)と日本人を繋ぐ役割を果たしてくれるのではないかという期待もある。しかし、それには根源的な問題が存在する。

ヒロ学園の話
 外国人生徒に10年後の夢を書かせた。彼らは日本に残りたくないという。日本の中で夢を見る事が出来ないのだ。夢を見るに十分な「何か」をあたえられてきていないんじゃないか。同一労働同一賃金や社会保障は財政的に厳しいのかもしれないし、国内の日本人雇用環境悪化につながるかもしれない。しかしそれにしても彼ら外国人労働者の労働環境改善がなされなければ、少なくとも彼らに対する偏見や差別がなくならなければ日本へ移住して労働しようという人たちは増えないのではないか。
 現在、海外にでていって企業が必要になるものは「人」どんどん外へ出て行って友達を作ったり、相手国の文化を知ろうとおもえるような人が必要と言われている。(企業の話)また、彼らが日本で活躍できる、日本企業の中で活躍できる場、環境づくりも必要なのではないか?


平生釟三郎(岐阜県出身、加納藩)の話。
1934年 日本人のブラジル移民入国を制限。平生さんがブラジルへ使節団団長としてブラジルへ渡る。そこで提示したgive & takeは日系人はブラジルで綿花を育ていたので、ブラジル産綿花を買う代わりにブラジルへの入植制限を撤回してもらうように交渉した。ブラジル使節団を日本に招いて歓待するとともに1936年あたりにはブラジルで日本ブームが起きている。フェアなトレードを背景に友好的なムードが醸成できるんじゃないか。
 (渡部的私見)世界的視野をもった生徒というのは英語が話せるとかじゃなくて、相手の立場に立って者を考える事が出来る、相手にとって本当に必要ながなにか真剣に考えられる人間なのではないか?