2015年4月23日木曜日

装備について・・・

この記事読んでたら心配になってきました。
有事でも大丈夫なのでしょうか。
今のこの装備で今の防衛費。
外出て行くことになり、海外の兵力と共同戦線
貼る必要が出た場合、どれぐらいの装備が必要で
どれぐらいの予算増を見込む必要があるでしょうね。

自衛官の「命の値段」は、米軍用犬以下なのか
実戦の備えがないため派兵どころではない
清谷 信一 :軍事ジャーナリスト
http://toyokeizai.net/articles/-/63496

【社説】
安保法制考(4) 治安維持で撃ち合いも
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015042102000133.html

さて今年も始まってますね、ディベートシーズン。

はい、全国の高校英語ディベート関係者の皆様こんにちは。今年もすでに高校英語ディベートの季節は始まっています。といっても、実は私は今年は大会運営関係者なので、私見を述べるのは避け、ソースのみを備忘としてアップするにとどめたいと思います。

本日は朝日テレビのそもそも総研タマペディアで取り上げられた話を備忘メモとしてアップします。各自一次ソースおよびサポートできるソースは探してくださいね。

(すいません、話を聞いてる時にうちの飼い猫がおトイレで粗相をしちゃったので、慌てながらキーボード叩きましたので、不正確な部分があったらゴメンなさい。だけど基本的な「それぞれの人のそれぞれの立場、そのカラー」はわかるかなぁ・・と思いますのであとは白書とか国会答弁とか、そういうのをよく検分してください。)


元陸上幕僚長冨澤暉 
「訓練していないことはできない」
「国もどこまでできるのか正確に把握しなければならない。」
「今まで死者が出なかった、ということは幸運なことであって、これから死者が出ることは避けられないだろう。国民もその覚悟をしなければならない。」

岩屋毅 衆議院議員
「戦闘をしている現場には駆けつけ警護を送るということは戦闘を行っているところには送らない、というのが大原則」

むすび〜自衛隊員の生死だけじゃなくて心のケアの問題として〜
イラク特措法に基づき派遣された自衛隊員
9400人中29人(2005〜2015末 防衛省)

*この数字の根拠は防衛省、としか書かれていないので、ちゃんと調べないと使えませんからね!!(今年からエビデンスは必携が義務付けられるんじゃなかったですかねぇ。Twitterのbotがたまに呟く悪魔のささやきには決して乗らないように!w)

2014年12月13日土曜日

眠気覚ましにニュースを斜め読み。

今、浜松に向かってる最中です。

はてさて、例のFITの話ですが
色々と裏がありそうです。
あの記事ですけど、新聞自体が
裏取りをどれぐらいしてるのか?
とはたと疑問に思った次第です。
(この疑問に思う、ということが
 ディベートの最大の効用、
 という事を忘れがちです。
 情報を鵜呑みにしない、
 大事な事です。それはこのブログ
 も同じです。というかこのブログ
 には何のオーソリティもありません。
 ただ単に渡部自身のブレインストーミング
 ですから。)

FITの問題点については

ただでさえ買い取り価格の初期設定が
「高価」と批判の的になった太陽光発電
ですが、中国系の資材によって安価
になりつつあるヨーロッパの傾向から
みて、

設営コストも含めても発電コスト
は安価になる、

当然それにあわせて
買電の価格設定も見直す、
というのが今回の話。

それはそれで真っ当な話。

買電価格が高いままであれば
電力会社の収支悪化、
それはなくとも、
価格転嫁によって、
消費者の負担増につながる訳
だから。

あとはこれから売電事業を
始めようと思う様な業者への
インセンティブがないという
問題は上がって来るでしょうね。

ただ、コスト的にペイできて
後はスケールメリットの問題
だけになれば、電力会社なり
社会インフラを担える会社が
拡大すれば良いと思うのです。

それが当初の目的だろうし。

ただまぁドイツみたいに、
国内のパネル製造会社
(目の付けどころが〜でしょ、の
 あの会社とか・・・)
にとってはコスト削減圧力は
相当なものでしょうからそういう
会社の動向が気になるところです。

一般消費者の目線で考えれば
発電コストが安くなる、
買電価格下がる、
価格転嫁分の費用低減

のメリットがありますが

もっと日本の工業産業全体で
見ると、

発電設備の開発
海外からの安い資材流入
1)発電コスト低下
同時に
2)メーカーにはコスト削減圧力
業績悪化
3)海外からの安い資材購入=
エネルギー自給率低下という
本末転倒な部分もあり得ます。

そういう事も考えると、
後は数字の比較なんでしょうけど、
この問題ってどっちにも転びそうな
話の様な気がしますねぇ。

(ま、昨今のHEnDAの大会では
 「水戸黄門の印籠」のごとき
 エビデンスは存在しないので
 エビの出し過ぎ、
 エビの出しっぱなし
 には注意したいものです。
 自戒も含めて)

明日ですね〜 全国大会前日。 

選手の皆さん、リサーチはこの辺にして睡眠もしっかり取ってくださいね。

しかしまぁ、肯定側としては
辛い報道が出ましたねぇ。
ただ、不確実性は高まった
かもしれませんが根本から
崩れる訳じゃないので、
用意してきたエビを信じて
試合した方が良いと思います。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141211/k10013885601000.html

ただ、
再生可能エネルギー全般が
「普及するかどうか」と
「それで儲けられるか」とは
基本的に別問題だと思いますし
(売電できないから、ソーラーを
 設置しようとするインセンティブ
 は低下すると思いますが。)
ソーラー発電設備自体のコストは
全世界的には下がりつつあるので、
守り抜こうと思えば、守り抜ける
程度のエビだと思いますので、
あんまりうろたえずに、
頑張りましょう。

僕は明日朝一で会場入り。
良い試合が見られる事を
楽しみにしてます。

Let's debate, let's make friends!

2014年12月4日木曜日

今日の玉川総研タマペディア(オフグリッド生活)

スマートグリッド導入が
叫ばれてます。

かつて電力会社はそれに

「前向きではない(むしろ否定的)」

と言われてきました。
どの規格にするのかという問題もあるし、

「統一規格は独禁法に抵触する(東電)」

など色々な問題があって実用化してません。
http://www.nikkan.co.jp/toku/smartglid/sg20111214-11n-282ps.html

で、佐藤さんというご家庭のお話が今回のお題。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/solar/20141106_674549.html

佐藤さんのブログ
http://ameblo.jp/green-note-page/

オフグリッドはスマートグリッドに
さえも乗らない、というお話。

佐藤家は3kw・hのソーラー+バッテリー。
バッテリーもフォークリフトに使う開放型の
中古バッテリー。

水の補充が半年に1回、
電極につく不純物を分解する液剤を
1年半に1回入れてメンテナンスが
必要。だけどちゃんとメンテすれば
10年持つとか。10年かぁ。メンテナンス
しながら10年となると、3ローテぐらいは
することになるからそれ、コストに入ってる?
と、ちょっと冷静に考えないと、ね。

別のお宅の話だと12kw・hのソーラーを積めば使い放題
の電力が得られるけど、コスト的には住宅建築費+500万
ぐらい。今時住宅ローンを35年で組む人もいるぐらいだから
年15万円ぐらい?月1万ちょっとのコスト。

12kwhのソーラーと70kwのバッテリーで
合計350万という試算を番組のまとめに
出されてましたねぇ。


今回の報道で大事なのは
「むりだ、無理だ」と思っていた事が
「コストはかかるけど、できなくはない」
という選択肢の提示にはなること。

コストは当然かかりますよ。
でも、コストは
「何と比べてコストを論じるか」
なのですよねぇ。
各家庭単位で年間十数万円の
コストがオフグリッドにかかるとして、
原発自体どれぐらいのコストが
かかってるのかと比べるとそんなに
大きくはない。

問題は
「オフグリッドしたら、果たしてその
 原発コストを負担する義務から
 逃れられるのか」
ということ。一生懸命オフグリッドしても
交付金やら、〜税やら、いろんな税が
投入されてるわけですし、その財源というのは
地方税だったりする訳なので、個人のそういう
努力が実質水泡に帰す可能性もあるわけです。

しかしながらそういう現状に対して
「NO」をつきつけるためにはそういう
コストを支払っても

「つまり、犠牲を払ってでも」

そういう事を訴えていかねば
現状は変わらない、という事を
学ぶ良い規格だったと思います。

ディベートの議論を聞いてると、
「犠牲を払うのはコストで、
 コスト回避に目がいきがちで
 本当に必要な価値を比較してない
 んじゃないか?」
と思う事がたまーにあります。
コスト合戦、数字合戦も大事ですが
その背景にある「論点の価値」
がやっぱり大事かなーと思うんです。

月数万円のコストをかけても
「他人の財布に頼った再エネ売電
 システムはおかしい。自給自足
 したい」という考えも一つだろうし

「発電におけるスケールメリットを
 無視した自家発電は高コスト。
 ただ、災害対策としてはメリット
 がある。両方良い所取りしよう。」
 という考え方もありだろうと思う。

つまり「どう考えて、どう行動するか」
各自が考えて行動する、考えるにしても
いろんな選択肢があった方がいい。

番組見ててそんな感じがしました。

2014年11月18日火曜日

解散選挙、するんでしょうかねぇ。

とりあえず、GDPの数字が出ましたね。
否定側は燃料費が余分にかかってると主張するでしょうからGDPを引き下げたというかもしれませんね。ただ、それをどう価値付けるかがキーなんですよねぇ。Impactについてはこに2、3年悩んでる状態です。自分に対するインプットも少ないですし、試行錯誤も以前ほどしてないので停滞気味ですので参考になる様な事は書けないんですが。

 このオフシーズンはそこの当たりを掘り下げようかなと思ってます。
(まだオフじゃないんですけどね。全国終わるまでは。でも、僕はもうオフに入ります。じゃないと年間通じて仕事できないですw)

 僕も自分のチーム指導してて「で、それはどう重要なの?」という所になかなか指導が行き届かないという反省点を常に抱えてます。

自殺率とからめるあのパターン以外なんかないのかなぁ、ってジレンマじゃないですけど、もやっとかんがずっとあります。

気のせいかな〜、最近の高校英語ディベートって「すぐ人が死ぬ話」になりませんか?普通に高校生が物事考えててああいう考え方にならないと思うんですが。

だからといってそういう話の筋を否定する訳じゃないです。「人が死ぬ危険があると分かってて、ある政策を実行するのは馬鹿げてる!」と言う事は大事な事です。

 一聴すると、ちょっと無理がないか?という話もデータ統計があればもっともらしく聞こえる、というのはよくある話です。今回の論題でも火力発電からでる○○ガスで「〜人死ぬ可能性がある」とか。そういうラインって結構あると思うんですけど、それに対して「それ、どこの話?」「いつの話?」「日本に当てはまるか?」とか精査する質問ができるかどうかは実際生きていく上で必要な力だと思うのです。

そういう力を培うにそういうデータに基づいたもっともらしくもありうさん臭い(これは私見ですが)ものに怯まずに挑んでいく、そういう練習をするには良い題材かな、とは思います。

「もっともらしいのが一番怪しい」

という感覚を養うにそれはそれで良いと思うし全ての議論はまな板の上に乗る価値がある。それにディベートでは道義的責任は問われないのだから一般的な会話ではタブーとされることも議論の俎上に上げるのをためらうべきではないのかもしれない。

「だけど、ねぇ」

まだ脳内の渡部くんはささやくのだけれども。

2014年11月16日日曜日

英検セミナーに参加して(主にCan-doについてまとめます。)

2014年11月15日
英検協会のセミナーに出席。
制作部アドバイザー 
柳瀬和明先生のお話を聞きました。
正直、聞き始めるまでは

「全く興味が持てない」Can-do
の話ですし、
「まぁ、英検協会のCMも兼ねてる
 からしょうがないよねー」ぐらいの
つもりで聞き始めました。

うちの学校ではCan-doは作成こそすれ、
「はっきりいってどこかのコピペ」
「右から左への仕事」感があります。
一応まじめに勉強したことはあります。
県のセミナーにも行きました。

けど「結局何をどう作って、
それは何に使うのかがわからない、
だから、勤労意欲わかないし、

「仕事の優先順位が低い仕事に」

に位置づけ、とりあえず頑張って
作って提出したけど、

「教員も、管理職も、生徒も」
見向きもしない産物


となっていました。

今回はその考えの【転換点】
になったこと、そして日本に
おける語学学習の【壁】について
非常に示唆深い話を聞く事が出来ましたので
自分の中でまとめるつもりで記録しておきます。

①日本の隠れたCan-do・・・大学入試の結果

(渡部雑感)
確かに進学校といわれる学校では

「国立何人」

が一つの尺度として使われてますし、

「模試の偏差値〜、平均点〜」

という中間発表に四苦八苦
されてる話をよく耳にします。

表のcan-doと裏のcan-do

をどう両立していくかは現実問題と
して重要なファクターでしょう。


(講演)
現実的にそういう要望にコミット
する事も重要。今日は現実的な
裏のcan-doはおいておいて、具体的な
指導の過程でどう活用するか、
「GPS機能」と「カーナビ機能」
になぞらえて示していきたい。

can-doは「具体的に何が出来るか」
という行動で表現する。

反面、英語教師はともすると

「be going toは未来を表す時に使う表現」
ということが「分かっているかどうか」

に注目し、それを確認するペーパーテストを
作る傾向がある。

学習の結果として

「具体的に何が出来るようになるか」
「何が出来るようになったか」

に焦点をあてる事で

「学習者の学習に対する効力感」

を高めるのがcan-doの目的である。


 ともすると今までの日本の学習は

『師匠が弟子に

「あれできてない」

「これできてない」

という叱責をすることが

教える事である。

(足りない事を知る、ですな。)

そういう学習文化』に根付いていた。


しかし、このようなスタイルが
果たして

「今の学生にマッチするのか」

「この時代に合致してるか」

検討するひつようがあるのではないか。
やはり「これをかえる必要がある」と思う。

つまり今までの日本人のメンタリティと
can-doやこれからの英語学習は
そう反する部分があり、

「今までの学習にかけている部分を補完」

する意味合いがcan-doにはある。

(ここまで書くと、

「そういう物が今までまったくなかったわけじゃ
ないだろう?」とEvil's wispergがささやくわけ
だけども、


渡部が思うに、

「無いわけじゃなく、教員の善意に支えられていた」

というか、

「教員の個人の資質に影響されていたんじゃ無いか」


と思う。じゃなくて、もっと透明性の高いもの、
明文化したものにした方がいいんじゃない?

という提案は至極『妥当なもの』な気がする。
ただそれが横文字になると

非常にうさんくさいもの

に聞こえちゃうのは渡部がooooollllddddd typeee!!
だからだろうか。)


また、

can-doを指導者と学習者の両方で共有する

ことで学習者にとって


「現在地確認(=学習の達成度合い)」

と、

「次の段階の内容の確認、

さらに「次の段階に達するために必要な
学習方法を提示し、レディネスを与える」

(つまり「心の準備をしておけ」ということ?)

が要諦であろう。





外部指標の活用から見る英語学習の課題・壁
①CEFR/CEFR-J ②英検can-do、③GTEC

CEFRで見ていくと、A1~A2のレベルは

「I」とその周辺の世界

について読み書き話聞くレベルである。
英検で言うと3級の世界である。

英検2級の壁=CEFR B1〜B2の世界の壁


は何かというと、


語彙レベルや運用能力の問題というよりも

「自分中心のI(アイ、私)の世界から自己の周辺世界へ
の脱却」

という部分ではないか、という話。

これは非常に興味深い。

(、いや、個人的にはしびれた!!)


確かにCEFRの記述や英検の記述を見ていくと、
そうなっている。


つまり、
英検二次であるような問題で

People nowadays travel abroad.
Do you think more people will travel
abroad in the future?









という問いに





I think so, too
because I like to travel abroad.
Thus many people will travel abroad
in the future, too.



というreasoningがある種、


「その壁が顕在化したもの」


なんじゃないか、ということ。

(この当たりは英語ディベートでも感じる点・・)






「じゃ、どうしたらいいの?」という話。

ここで村野井2006を引用。
「英語を使えるようになりたいといいながら新聞は読まない、本も読まない、娯楽映画意外はみない、という状態では仮に英語運用能力がついたとしても中身の無いコミュニケーションしか出来ない人間になってしまうだろう。」


つまり
英語だろうが日本語だろうが、
そういう話題について


「広がり」と「深み」

をもたせる教育を


「英語科だけじゃなく、
 複数の教科でまたがって、
 輻輳的に
 行う必要があるのではないか」

という提案に思わず「うーむ」
とうなってしまった。

(意外とここまで踏み込む発言を
 英検関係者が言うのは珍しい、
 違和感があってipadで見てみたら
 この方、元都立教員とか。
 なるほど、現場をふまえておられる
 気がしたのはそういう事ね。)


(以下渡部雑感)
「英語科教員だけが背負い込む必要は無い」

は至言。


じゃ、どうするかまでは
具体的に言及されませんでしたが、


話を聞いてると、
全て教員が抱え込む必要性は無く、
ただ、


教員側として、
「全ての科目でより認知的負担が
高い方向へチャレンジさせる、
励ます、活動させる」

ことと、

学習者に

「現在地をフィードバックしながら、
次の到達点の明示、そこまでの方略の明示」
をする事で学習者の自律的な学習意欲を
引き出す、


という考え方にたどり着きそうな気がする。

「自分中心・具体的事物中心」の思考から
より認知的負担が大きくなる

「多者間・社会的な話題、抽象的な話題」

に慣れ親しむ学習活動を
「意識的に組み込む必要性」
がある。そのことは実は
学習指導要領にも組み込まれている。
(資料参照)

「英語科だけで抱え込む必要は無い」
ではどうするか?

を考える過程で


「実際のところ、学習者の母語の
生活実態はどうなってるのか?」

を調べたデータが非常に興味深い。


つまり英語can-doで記述されてるような
ことを生活言語である
「日本語でやってるのか?」


ということを調べたところ、やはり、

日本語での生活実態と英語での活用状況は
比例関係にある」ようで、

日本語でもB1−B2の世界に
至っていない生徒は英語でその世界に
到達などかなり困難を極めるというのは
自明。

だけれども、あまり押さえられてない
ところである。

そういう意味で「英語科だけで抱え込む」
のではなく例えば、
他教科との連携、
家庭学習の運用方法、
などで足りない部分の補完

ということは考えていく必要がある。

日本人の言語観で非常に
有意義な指摘があった。

Takao Suzuki 1975の引用
日本人の伝統的な伝達が、①理解よりも察知する事、説得よりも感得することに重点が置かれていたのは、結局は②同質の相手を前提とし、相手と同質になることに努め、またそれが可能であったという事実
帰着すると思われる。

つまり情報の発信者の責任よりも、
受信者の責任の方が重いということである。

(集会でつまんない話をしてても
 寝るな、携帯をかまうな、
 しゃべるな、というのは典型例?)

こんな状態では発信者の情報の内容
について精査する必要がない。

発信スキルを上げる必要性も薄い。

よって質問力や説明緑は育ちにくい。


そもそも「以心伝心同質になること」
(あたかも師匠と弟子の関係に似てる)

が目的なので

疑う事なんて以ての外、

なわけである。

現代まではそうでした。ちょっとそれが変わりつつ
ある時代の節目でしょう。

(渡部の雑感)
今自分の現場では外国人生徒が多く、
日本文化を前提とした『当たり前』
は当たり前でないし、

「なんでなん?」に逐一答えなければならない。

「教室では帽子を脱がねばならない」
これ、工場で働いてる外国人生徒に
どう説得します??

「帽子かぶってたら失礼って、
 あんた、そんなに偉いんか?
 仕事やろ、教えるの。
 仕事上の付き合いに上下つけるなや。」

 これ言われたときに、個人的には
しびれましたけどねぇ。

じゃぁ、どう返そうか?

と思って悩んでたんですけど、あっちが上手で

「まぁ、先生が言うなら脱いでやるわ。」

でそれ以上話しませんでしたけど、難しい問題です。

そんな環境にいると、この事は身にしみてよく分かる。
これを毎日繰り返してると

「前提が違う人間との接し方」

というのは非常にコミュニケーション能力を高める
んじゃないかと思う。

説明する必要性、必然性がある。

「なんとなく。」
「だよねー。」文化はやっぱり
日本文化の象徴だな、と思う訳です。

今日本が直面してるのはその「崩壊」
というか「破壊」というか。逐一でいい
から説明する『トレーニングせよ』という
ことじゃないでしょうか。

それが日本古来の「あうんの呼吸」
や「以心伝心」を破壊するのか、
どうなのかは分かりませんし、
そもそもそれが本当に良いのかも
再検討しながら先に進むしかないかも
しれません。

まとめ
今まで言われてきたけども、
「母語は外国語の基礎である」
というのは当たり前の話です。

当たり前すぎて

あまりにも検証されなさすぎた

のではないかと思う。

今回、データを重ね合わせながら
見ていくと、日本語での言語技術と
英語での言語技術との相関関係は

高そうである。であるならば、

国語科との連携、
また、B1−B2への
展開ということを視野に入れ、
(高等教育というのであれば
 視野に入れねばならないだろう。)

社会科や理科との連携、特に、
それらの科目における『言語活動』
がキーになるように思えてならない。

『その学校で、全科目で言語活動がうまくいくかは英語科のイニシアティブにかかっている』といったのは岐阜県のS指導主事だったが、その事を思い出した。

まさしく


「英語科だけで頑張っててもダメ」

なのである。

資料についてはメールかメッセージをいただければ、と思います。